東京地方裁判所 昭和60年(ワ)15865号 判決 1992年4月10日
原告 中村竜夫
右訴訟代理人弁護士 井口多喜男
同 内藤雅義
同 鮎京真知子
被告 国
右代表者法務大臣 田原隆
右訴訟代理人弁護士 齊藤健
右指定代理人 加藤美枝子 外一二名
主文
一 被告は、原告に対し、金一億四一四一万七八〇〇円及びこれに対する昭和六一年一月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は、第一項の内金五〇〇〇万円につき仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求の趣旨
主文第一項のとおり。
第二事案の概要
本件は、原告が、昭和五五年四月に東京大学医学部附属病院(以下「本院」という。)で右頚部のリンパ節腫脹について悪性腫瘍と診断され、同月から同年六月にかけて東京大学医科学研究所附属病院(以下「医科研」という。)において右頚部に対する速中性子線照射を受けたところ、右照射の後遺症によって放射線脊髄炎となり身体障害者福祉法別表掲記の一級相当の後遺障害が残ったことについて、右障害の結果は本院及び医科研の医師らの過失に基づくものであり、右医師らの使用者である被告には不法行為に基づく責任があるとして損害賠償を請求した事案である。
一 争いのない事実等
1 当事者
原告は、頚部腫脹によって、本院及び医科研で診察を受け、医科研において速中性子線照射を受けた患者であり、被告は本院及び医科研を開設している。
2 本院及び医科研における診療経過
(一) 原告は、昭和五五年四月二一日、五、六年前から右頚部にリンパ節腫脹がある旨の開業医の紹介状を持参して本院耳鼻咽喉科腫瘍外来を受診し、井上憲文医師(以下「井上医師」という。)ら三名の同科腫瘍外来担当医による病歴、経過等の問診、頚部、耳鼻咽喉等の視診、頚部、顔面、口腔、咽頭等の触診を受け、かつ、血液検査、心電図検査等の指示を受けた。
問診による病歴、経過は、三年以上前から右耳下部に腫瘤が発生し、徐々に数が増えてきた、自発痛はなく、圧痛がある、日によって硬さに変化があり、体重は変化がないというものであった。
視診、触診の結果によると、右頚部の側方に耳介下部から鎖骨上窩まで副神経リンパ節群の腫脹が五個あり、耳介下部に一番近いものが最も大きく四〇ミリ程度で、残りはそれぞれ一二ミリ程度から二〇ミリ程度の大きさであった。また、下顎骨体の下縁に沿って、二〇ないし三〇ミリ程度の大きさのリンパ節腫脹が一個認められた(<書証番号略>)。
井上医師は、これらの腫脹につき、互いに癒着せず、腫瘤の硬さは一様にカマボコの硬さ、即ち弾性を有するが波動は触れず充実性が認められる、耳下部最上部の腫脹は基底部との癒着があり可動性を欠いたが、その他は可動性が保たれていた、皮膚との癒着は全腫瘤に認められない、と診断し、これと前記診察結果を総合して検討の上、悪性腫瘍と判断した。そして、急速な全身転移を来し易く極めて経過が悪いが放射線治療が有効なリンパ上皮腫又は悪性リンパ腫のいずれかであることが確実と診断した(<書証番号略>、井上証言第七回、一四ないし一六丁)。
その上で、井上医師は、原告の腫脹の原発巣は上咽頭が最も疑われると考えた(井上証言第七回、七丁)が、上咽頭の後上壁右寄りにわずかの隆起がみられるのみで、他に原発を思わせる所見は認められなかった。
そこで、右隆起部分の生検を同月(昭和五五年四月)二八日に実施する予定をたてた上で、原告に対し、腫瘍の治療のため直ちに医科研で診察を受けるよう指示した。
(二) 同月二四日、原告は医科研熊澤昭良医師(以下「熊澤医師」という。)の診察を受けた。熊澤医師は原告の腫脹を悪性腫瘍と診断し、速中性子線治療が妥当と考えて速中性子線担当の飯野祐医師(以下「飯野医師」という。)を紹介した(飯野証言第一三回、二丁、三丁)。
(三) 翌二五日、飯野医師は原告を診察し、原告の右頚部の腫脹はリンパ上皮癌が最も疑われると考えた。そして、同日、照射線量(腫瘍線量)を一回一二〇ラド、週二回全一二回を目標として速中性子線による治療を開始した。その後、第六回の照射時である同年五月一二日から照射野を縮小し、第一一回照射時の同月三〇日からさらに照射野を縮小して、同年六月九日まで、当初予定していた一二回より二回多い合計一四回、腫瘍線量にして一六八〇ラドの速中性子線治療を行った。なお、右治療では、速中性子線は脊髄にかかる方法で照射されていたものである。
(四) 一方、本院の方でも経過観察が続けられ、昭和五五年四月二八日に、上咽頭の隆起部分の生検が行われたが、同年五月二日に悪性ではないという結果が出た(<書証番号略>)。さらに、同年六月三〇日に中耳からも生検を行ったが、悪性との結果は出なかった(<書証番号略>)。
(五) 昭和五六年三月二日医科研での飯野医師の診察の際、原告の左腋窩部に腫瘤が二個認められたので、飯野医師は肺への癌の転移を疑い胸部レントゲン撮影を行ったが異常はなかった。同日、井上医師も診察し、悪性腫瘍との疑いをもった。飯野医師は、さらに二回の経過観察の後、右腫瘤について生検を行うのが望ましい旨決定した。それを受けて井上医師は、本院第二外科に対し生検を依頼し、同月二五日に本院第二外科で左腋窩部及び右頚部の腫瘤について生検が実施されたところ、右腫瘤はいずれも結核性リンパ腺炎であるとの診断であった。そこで、本院第一内科において結核治療を行ったところ、その半年後に右腫瘤は消失した。
(六) 昭和五七年中頃より、原告に、排尿、排便困難や下半身のしびれ、下肢の筋力低下が出現し、昭和五八年一月より本院神経内科及び本院泌尿器科の診察を経て、医科研での速中性子線照射に起因する放射線性脊髄炎と診断された。
3 原告の現在の状況
原告は、昭和五九年二月より杖歩行となり、現在、左右両側上下肢麻痺、膀胱直腸障害等の症状があり、前記第一級の身体障害者に認定されている。
二 争点
1 原告の右頚部の当初の腫瘤(以下「本件腫瘤」という。)を悪性腫瘍(悪性リンパ腫ないしリンパ上皮腫)と診断したことの適否。
2 速中性子線治療を選択・実施・継続したことの適否。
3 損害額。
第三当裁判所の判断
一 争点1(本件腫瘤を悪性腫瘍と診断したことの適否)について
1 原告の本件腫瘤は悪性腫瘍か。
(一)(昭和五六年三月の生検の対象となった腫瘤は本件腫瘤が残存したものかどうか) 昭和五六年三月に原告の左腋窩部及び右頚部の腫瘤について本院で生検を行ったところ、いずれも結核性病変であるという結果が出たこと、その後本院第一内科で結核治療を行い、半年後に右腫瘤は消失したことは、当事者間に争いがない。このうち、左腋窩部の腫瘤は昭和五六年二月ころに出現したものであることについて当事者間に争いはないので、頚部腫瘤について、本件腫瘤が残存していたものであるか、あるいは、それとは別の新たに出現したものであるかについてまず検討する。
被告は、この点、生検の対象となった頚部腫瘤(以下「生検対象腫瘤」という。)は新たに出現したものであると主張し、その根拠として、<1>本件腫瘤は速中性子線治療の結果昭和五五年六月三〇日までにほぼ消失したこと、<2>カルテに、速中性子線治療が終了した後である昭和五五年八月二一日の本院での所見として右頚部の腫瘤がややふえたと記載されていること(<書証番号略>)、<3>その後の本院の診察での所見として同様の腫瘤の存在が記載されていること(<書証番号略>)、<4>医科研での診察においても昭和五五年七月の診察時には記載がなかった頚部腫瘤が同年九月の診察時から記載されるようになり、それが生検時まで続いていること(<書証番号略>)、<5>生検対象腫瘤については昭和五五年九月二二日から昭和五六年三月二日までの約半年間増大傾向がなかったこと(飯野証言第一四回六丁)を主張している。
まず、昭和五五年八月二一日に井上医師が原告の右頚部の腫瘤がややふえたとの所見をカルテに記載しており(<書証番号略>)、飯野医師の診察でも、同年七月七日には記載がなかった腫瘤が同年九月二二日の診察時の所見として記載されている(<書証番号略>)ことからすると、生検対象腫瘤は本件腫瘤とは別のものであると考えることもできそうである。しかし、他方、飯野医師は、生検対象腫瘤を認めながらも、右頚部は制御されていると思われる旨を井上医師に伝えていること(<書証番号略>)、井上医師は、右の記載がされた飯野医師の手紙に対する返事として、何ら反論をせず、同時に問題となっていた左腋窩部の腫瘤についての意見のみ記載しており(<書証番号略>)、生検依頼の手紙においても生検対象腫瘤について「小腫瘤残存」と表現していること(<書証番号略>)からすると、生検当時、井上医師らは、生検対象腫瘤について本件腫瘤の残存であると考えていたと認められる。そして、飯野医師は昭和五七年一〇月二五日付けの葛南病院宛ての書簡において、速中性子線治療終了時に腫瘤が残存したこと及びその後それが縮小したが残存している旨を記載している(<書証番号略>)のである。さらに、本件腫瘤が速中性子線治療によって消失したかどうかの点については、井上医師の所見として昭和五五年六月三〇日に腫瘤がおとなしくなった旨の記載がある(<書証番号略>)ものの、その後も右頚部の腫瘤が依然存する旨の記載があり(<書証番号略>)、飯野医師も前述のように速中性子線治療終了時に腫瘤の残存を認めていたのであるから、消失したと解することはできない。また、生検対象腫瘤が増大傾向を示さなかったこと(<書証番号略>、飯野証言第一四回、六丁)については、転移であれば半年もすれば増大するのが通常であるとの飯野証言(第一四回、六丁)によっても、それは、生検対象腫瘤が新たに出現したものであることを前提とした議論であり、このことをもって、本件腫瘤が残存していたことを否定する証拠とすることはできない。以上のことからすると、生検対象腫瘤は、本件腫瘤が残存していたものと解するのが相当である。
(二)(生検対象腫瘤の性質) 次に、昭和五六年三月の生検で結核性病変であるとの結果が出たことについては、被告は、生検の対象となった頚部腫瘤は結核であると断定することはできないとの再検査の結果(<書証番号略>)をもって、その正当性を争うに至っている。この点、原告は、審理開始後六年も経ってこのような攻撃防御方法を提出するのは訴訟の信義に反するし、右生検結果が結核性病変であったことを認める自白を撤回するもので許されないと主張するので、まず、その点につき判断すると、右攻撃防御方法は昭和五六年三月の生検において結核であるとの診断がされたという事実を否定するものではないし、また、この事実は間接事実にすぎないので、自白の撤回を制限するものではないと解される。また、訴訟の信義に反するとの主張は、即ち、時機に遅れた攻撃防御方法として却下すべきとの主張と判断されるが、これらの書証の提出によってあらたな証拠調が必要になるわけではなく、従前の証拠と併せて事実をどう評価すべきかの問題にすぎないので、訴訟の完結を遅延させるものということはできない。したがって、原告の右主張はいずれも理由がない。
そこで、生検対象腫瘤の性質について考えると、当初の生検の結果(<書証番号略>)によれば、東大医学部附属病院第二外科外来医師は、昭和五六年三月一六日頚部及び腋窩部の腫瘤について生検の依頼を受けて、同月二五日リンパ節生検を実施し、同月三〇日臨床材料検査報告書を作成したが、その病理学的診断は「右頚部と左腋窩の結核性リンパ腺炎」という確定診断であり、所見では、頚部の方は瘢痕化した結核だが、左腋窩リンパ節はまだ活動的である旨が明記されている。これに対し再検査結果(<書証番号略>)によれば、その実施は平成三年七月及び八月であり、いずれも生検から一〇年以上経過しており、結核の証拠はないとするも、あくまで再検査時現在の所見にとどまる。しかも、一方は左腋窩部の病変については明らかな結核と診断する(<書証番号略>)のに対し、他方は第一に類肉腫性、第二に結核性の可能性を指摘するにとどまっているほか、当初の生検では結核結節を推認するラングハウス型巨細胞をわずかではあるが発見できていたのに、再検査時には確認できなくなっており、再検査自体の確実性に疑問が存する。また、再検査結果(<書証番号略>)には、左腋窩部が明らかな結核なので、頚部の病変も結核と考え、前回、両病変とも結核と診断されたことは諒解できることである旨の記載があるが、頚部リンパ節について病理学的診断を下すのに、右のような理由で、悪性腫瘍の可能性があるのに、結核性リンパ腺炎との確定所見を出すことは、およそ考えられないことである。もし、悪性腫瘍の可能性があるのにこのような診断が下されれば、そのために悪性腫瘍の疑いがあればされるべき原発巣や転移の探索がされないことになり、生命に関わるのであって、そのような根拠の示されない推測に同意することはできない。そうだとすると、この再検査の結果をもって、当初の生検結果を誤った診断ということはできない。
(三)(本件腫瘤全体を一連のものとしてとらえることの適否-結核性リンパ節炎と矛盾しないか) それでは、速中性子線照射により消失したとされる耳介下部の大きな腫瘤についても、その下部の、結核性リンパ節炎と確定診断を受けた腫瘤と一連の同一のものであるとして(井上医師は少なくともそのように考えていた。井上証言、第七回、六丁)、いずれも結核性リンパ節炎であったと解してよいかが問題となる。すなわち、被告は、<1>本院耳鼻咽喉科初診時の問診、視診、触診の結果及び<2>速中性子線治療による治療効果から考えて、本件腫瘤が結核性リンパ節炎であることはありえないと反論するので、被告主張の各事実と右結論が矛盾するものであるかを検討する。
まず、<1>初診時の診察結果であるが、個々の診察の経緯及び井上医師が診断を下すに至る思考過程等は後に詳述するとして、被告の主張するところの結核性リンパ節炎を否定する諸症状、すなわち、(a)疼痛(自発痛)がなく圧痛があること、(b)互いに癒着せず一様にカマボコの硬さであり上から三番目は八ツ頭状であること、(c)皮膚との癒着がないこと及び(d)腫瘤発現部位、について検討すると、まず、(a)疼痛がなく圧痛がある点については、結核性リンパ節炎の初期(結核性リンパ節炎の病期については後述。)症状として無痛あるいは多少の圧痛(<書証番号略>)、第二、三期症状として多少の圧痛あるいはときに強い疼痛(<書証番号略>)とのみ言及している文献がある一方、症状としてなんら痛みについて言及していない文献もある(<書証番号略>)から、疼痛がなく圧痛があることから直ちに結核性リンパ節炎が否定されるものではないと考えられる。さらに、(b)リンパ節同士の癒着がなく一様にカマボコの硬さであり上から三番目は八ツ頭状である点については、硬さの程度、一様であったかどうかの点で後述のように疑問もあるが、仮に右のとおりであったとしても、結核性リンパ節炎において腺塊を形成しないもの、硬さが一様であるものの存在する可能性はある(<書証番号略>)から、これも否定する理由とはならない。(c)皮膚との癒着の点は、井上医師は皮膚との癒着が認められなかったとするが、結核性リンパ節炎でも、初期のものあるいは第四期のものは周囲組織との癒着がないことがあるから、これもまた、否定する決め手とはならない。最後に(d)発現部位の点は、確かに、結核性リンパ節炎で結核菌が口腔、鼻咽頭より侵入した場合、上部深頚リンパ節や顎下リンパ節に初発する症例が大部分である(<書証番号略>)、本件腫瘤のうち耳介下部における最大のものが初発で、下部に向かって進行したと仮定すると、その位置は胸鎖乳突筋の後上部すなわち、乳様突起下部で胸鎖乳突筋付着部後縁に存しているのであるから、結核性リンパ節炎の通常の感染経路からすると生じにくいと考えられる。しかし、井上医師が上部から下部に向かって進行したと考えた根拠は、腫瘤のうち耳介下部のものが最も大きいという点にあり、その進行経路が病理学的に確認されたものではなく、ひとつの仮定であり、それ以外の感染経路を全面的に否定するものでもない。そうすると、発現部位から直ちに結核性リンパ節炎を否定することはできない。
次に、<2>速中性子線治療の治療効果について、被告は、癌とくに放射線感受性の高い悪性リンパ腫やリンパ上皮腫の場合放射線照射により急速に縮小するが、結核性リンパ節炎の場合過大な線量を照射することによって膿瘍や瘻孔を作る危険があり、あるいは、繊維性腺瘤に至っており照射が意味をなさないのであって(<書証番号略>)、本件では一回一二〇ラドでそれはエックス線に換算すると三六〇レントゲンになり明らかに過大であったにもかかわらず、膿瘍や瘻孔が形成されていないから、結核性リンパ節炎は否定されるとする。しかし、確かに速中性子線のRBE値は、エックス線に比べれば後述のとおり高いものであるが、結核性リンパ節炎に対する放射線治療は本件当時ほとんど行われず、薬物治療にとって代わっており、速中性子線照射によりどのような照射効果が得られるのかのデータは提出されていないのであるから、RBE値の差異のみで、直ちにその可能性を否定し去ることもできない。
(四)(悪性腫瘍である可能性について) 以上のとおり、病理学検査結果に基づき、本件腫瘤を全体として「結核性リンパ節炎」であると解釈しても、一応の説明は可能であるが、病理学的検査はあくまで生検に供された資料の限度において診断するものであり、積極的に本件腫瘤が全体として結核性のものであることを裏付けるものではないから、改めて本件腫瘤が悪性腫瘍である可能性についてもこれを検討することが必要となる。
まず、井上医師は触診等により、主としてその硬度から本件腫瘤について上咽頭癌を疑ったのであるが、上咽頭癌の初発症状については、頚部リンパ節腫脹の症状が四二・九パーセント、耳症状・脳神経症状が各一九パーセント、頚部症状が一四・三パーセント、咽頭症状が四・八パーセントであると報告されている(<書証番号略>)が、原告について、頚部リンパ節腫脹を除き、これらの症状は殆ど確認されておらず、また、証拠上も見当たらない。
さらに、前記のとおり、井上医師は上咽頭癌を疑い上咽頭の表皮の生検を依頼実施したのであるが、悪性腫瘍であるとの結果は得られなかった。
また、本件腫瘤のうち照射後も残存していたのは、結核の治療によって消失している(この点は、双方に争いがない。)。
次に、速中性子線照射の結果本件腫瘤のうち耳介下部の最大の腫瘤を中心にその付近の数個の腫瘤が縮小したことから、放射線感受性の高い悪性腫瘍の存在が強く疑われる点を検討する。本件腫瘤については、前記のとおり、照射によって一部は消失したものの、一部は縮小せずに残って抵抗性を示している状態で照射が停止され、その後リン摘を含め、何らの治療もされないで現在まで一〇年が経過し、再発もしていない状況である。ところが、頚部における悪性腫瘍は多く難治性のものであり、原発巣を発見してこれに適した治療方針を立て、放射線療法、化学療法、摘出手術等少しでも効果のある治療を最大限実施しても、その予後は非常に悪く、本件でも飯野医師自身、原告を治療しながらこれだけ腫瘤があると助からない確率が高いと考えていた(飯野証言、第一八回、四丁)ほどなのである。そうすると、本件腫瘤が悪性腫瘍であったと言うには余りにも予後が不自然であり、既に消滅した耳介下部の大きな腫瘤が結核性リンパ節炎であったと断定はできないものの、少なくとも、これが悪性腫瘍であったと認定することもできないものと言わねばならない。
(五) したがって、井上医師が本件腫瘤を全体として悪性腫瘍であると診断したことは、誤りであったと評価せざるを得ない。
2 井上医師の過失
そこで、改めて、悪性腫瘍であると診断した井上医師の行為に過失がなかったかを検討することにする。
(一)(初診時に尽くすべき注意義務の内容) 一般に医師が患者を診察し、治療を実施するに当たっては、必ずしも病名を確定すべき義務を有するものではなく、特に初診時においては病名の確定が困難である場合も多いのであるから、初期の段階で、診断内容を誤ったとしても、当然に過失があることにはならず、通常当該専門医として必要な注意を尽くして診断すれば、結果的に誤った診断名を付けたとしても、過失があるということはできない。
(二)(初診時の経緯)
(1) 証人井上憲文の証言及び<書証番号略>(本院耳鼻咽喉科カルテ)によると、原告の本院耳鼻咽喉科腫瘍外来における初診時の問診、視診、触診の経緯として、以下の事実が認められる。
原告の本院初診時の診察は杉田、西澤、井上の三名の医師によって行われ、それぞれの診察結果がカルテ(<書証番号略>)に記載された。それによると、最初に診察した杉田医師の結果として、原告の右頚部腫脹の位置、個数は、耳介下部から鎖骨上窩まで副神経リンパ節群のものが五個、下顎骨体の下縁に沿って一個であり、大きさは、副神経リンパ節群のものについて、長・短径の区別なく上から順次、三一×二八(単位ミリ、以下同様。)、一六、二〇、二〇×二〇、一四×一四であり、可動性は耳介下部最上部のものは可動性がなく、その下の四個については可動性が認められ、皮膚との癒着はいずれにも認められない、痛みについては疼痛がなく、圧痛がある、という記載がされている(<書証番号略>)。次に西澤医師の診察結果としては、腫脹の位置、個数については前同様、大きさは順次、四二、一三、二一、二五、一七、その他下顎付近のものが二三であり、可動性は認められる、硬さは、耳介下部最上部のものがマシュマロの硬さ、他は甘栗の硬さ、耳介下部の腫脹のうち、下から二つめのものについて凹凸不正との記載がある(<書証番号略>)。三人目の井上医師の診察結果として、腫脹の位置、個数は前同様、大きさが副神経リンパ節群のものが上から順に、長・短径がそれぞれ四一×二四、一五×一三、二〇×二〇、二一×一八、一二×一二、下顎付近のものが二七×一九であるという記載がされ、耳介下部の上から三つ目の腫脹は三つのリンパ節同士が癒合したような形状で記載されている(<書証番号略>)。井上医師は、初診時のカルテには記載しなかったが、腫脹の硬さはカマボコの硬さであり、皮膚との癒着も認められないと診断した(井上証言第七回五~六丁)。三名の医師による診察時間の合計は一〇分程度であった(井上証言第九回三丁)。
病名、治療方針等の決定は、三名の医師のそれぞれの診察結果を総合して行われるが、その最終決定権限は井上医師にあった(井上証言第九回七丁)。そして、井上医師は、初診時の原告の腫脹の診断として、多発的に腫れているということから良性の腫瘍あるいは嚢胞は否定され、発熱、痛み、食欲不信ということがなく経過が長いということから急性の感染症も否定されると診断した。その上で、悪性腫瘍又は結核性リンパ節炎のいずれかであるということになるが、<1>リンパ節相互の癒着がほとんど見られず、耳介下部の上から三つ目の腫脹は癒着が認められるものの、八ツ頭状、即ちそれぞれの輪郭が追えるような癒着の仕方であり、ベタベタと輪郭が分かりにくいという癒着の仕方ではないという点、<2>皮膚との癒着がいずれの腫脹にも認められず、基底部との癒着も最上部のものを除いては認められない点、<3>一様にカマボコの硬さ、即ち、弾性を有するが波動は触れず充実性が認められる硬さ(弾性硬)である点、<4>経過期間が長いにもかかわらず腫瘤の硬さが一様である点、<5>圧痛がある程度で痛み(疼痛)がない点から、結核を否定し、結論として、リンパ上皮腫あるいは悪性リンパ腫であると判断した。この結論は三名の一致した意見であった(井上証言第七回一一~一六丁)。
(2) 以上からすると、本件腫脹の臨床診断については、結核性のものであるか、あるいは悪性腫瘍であるかが問題となるので、結核性リンパ節炎及び悪性腫瘍の鑑別上問題となる特徴を検討する。
井上証言、証人飯野祐の証言、<書証番号略>によれば、以下の事実が認められる。
まず、結核性リンパ節炎の特徴について、結核性リンパ節炎の病期には、第一期(初期、初期腫脹型)、第二期(盛期、浸潤腫大型)、第三期(中間期、膿瘍形成型)、第四期(晩期、硬化型)がある。初期症状としては、リンパ節組織内に結核結節を含む肉芽組織が生じ、その周囲に反応性の円形細胞浸潤が起こり、顎下部あるいは鎖骨上窩部に腫大したリンパ節が現れる、比較的弾力に飛んだ硬さで個々に触れる、約一か月の経過で病像は変化し第二期に移行する、というものである。第二期では、リンパ節は腫大し、硬度を増す、リンパ節周囲炎を起こすのでしだいに隣接リンパ節の間に癒着をつくり、その結果リンパ節の塊(腺塊)を形成するとともに、周囲組織との癒着も強まり、可動性が制限されてくる。第三期に至ると、リンパ節内の乾酪物質は軟化して膿瘍を形成するので、リンパ節腫は急に増大して緊満状を呈し、硬度は軟化し、さらにはリンパ節外膿瘍となり、波動を呈するようになる。第四期では、リンパ節内の残存病巣は線維化ないし石灰化し、残存リンパ節腫はきわめて硬度を増すが、腺塊の型は消失して孤立化した小さなリンパ節腫が散在するような型をとる。病期は順次進むこともあるが、どの時期からも第四期に向かうことがあり、第三期を経ずに第四期に向かうこともある。また、多発性でも腺塊形成をしない場合、腺塊を形成しても硬度の一様の場合には、ほかのリンパ節疾患と鑑別を必要とする。
他方、悪性腫瘍の場合、まず悪性リンパ腫については、腫脹の大きさは指頭大から手拳大で、癒合傾向は弱くとくに皮膚とは癒着せず可動性は良好であるが、次第に増大し、大きな腺塊を形成して周囲との癒着を起こして可動性を失う、無痛性、弾性硬である、全身症状としては発熱、易疲労性、夜間盗汗、体重減少、皮膚掻痒感、食欲不振などが見られる、という症状を示す。リンパ上皮腫は上皮性(上皮細胞を起源とした)悪性腫瘍で、リンパ組織が近くにあるところに生ずる扁平上皮癌の一種であるが、分化度が低い、あるいは未分化(原始的な細胞に近い)であり、臨床的には癌腫よりも悪性リンパ腫に近いものとして取り扱われ、リンパ節数個の転移巣が一塊となって八ツ頭状や数珠状に連なることが多い。
(三)(結論) 以上からすると、結核性リンパ節炎と悪性腫瘍との鑑別には、腫脹の硬さが一様であったか、あるいはの硬さの程度が大きなポイントであると解されるところ、その点について井上医師は前記のとおり、一様にカマボコの硬さであると診察しているが、西澤医師は耳介下部最上部のものはマシュマロの硬さ、他は甘栗の硬さとしており、また、硬さが一様であるかどうかの点についても意見を異にする。しかしながら、触診は経験が重要な要素と解され(<書証番号略>)、西澤医師は昭和五四年に医師免許を取得したばかりであることから、井上医師において、西澤医師が本件腫瘤の最上部のものについて皮下組織を触ったのであろうと推測し、特にその点について意見を交換する等のことをしなかったとしても、それが不適切とまではいえないであろう。そして、臨床診断上の注意として、まず悪性腫瘍を疑うべきである、すなわち、最悪のものを予想して精査することが必要なのである(井上証言第八回一〇丁)ことも合わせ考慮すると、井上医師が自己の診察を妥当であると考えたとしても必ずしも合理性を欠くものとはいえず、とりあえず初期の診断として一応悪性腫瘍を疑った、この時点における井上医師の判断をもって過失があるということはできない。
二 争点2について
1 治療方法を選択し、それを実施する際の医師の注意義務の内容。
(一)(主治医としての注意義務)
ところで、前記のとおり、井上医師は以上の臨床所見に基づいて原告の頚部腫脹は放射線照射を必要とする悪性腫瘍であると考えたのであるが、一般には、以上のような臨床所見のみで確定診断を行うことは危険なことであり、耳鼻咽喉科の医師としては、患者の頚部腫脹について悪性腫瘍の疑いがあると判断した場合において、それが転移性のものであるときは、原発巣の発見に務め、可能な限り、原発巣からの生検によって病理学的に診断を確定するとともに、その悪性腫瘍の疑いの程度、生命、身体の危険性及び緊急性の程度を勘案して、適切な検査及び治療を実施すべき業務上の注意義務があると解される。
(二)(他科から放射線治療の依頼を受けた医師の注意義務) 耳鼻咽喉科など他の科から放射線治療の依頼を受けた場合、放射線科の専門医としては、依頼者である医師と、当該患者の患部について、それが悪性腫瘍であるか、その疑いはどの程度確実なものであるか、その治療に放射線治療が適しているか、どのような放射線を照射するのがよいか等について十分協議をして、当該患者に適切な治療が行われるようにするとともに、不必要な放射線の照射が行われ、正常細胞を傷つけないよう可能な限り配慮する業務上の注意義務があると解される。
(三)(上記注意義務違反の判断)
上記のような注意義務を負う医師らに注意義務違反があった否かを判断するには、その前提となる診断の確実性並びに当該治療法の有効性及び当該治療を実施する際の副作用のもたらす危険性とを比較衡量することが必要である。すなわち、診断が確実で、かつその治療法が有効であり、その治療をしなければ重大な結果をもたらすおそれのあるときは、多少危険性を伴っても治療を実施すべきであるが、反対に診断の確実性及び当該治療法の有効性に疑問があり、必ずしもその治療をしなくてもよいと考えられるときは、極力危険性を伴う治療は避けるべきであると考えられる。
(四)(本件で検討されるべき点)
本件では、主治医であり本院耳鼻咽喉科の医師である井上及び放射線科の専門医である飯野において、原告の本件腫瘤に対し、速中性子線照射による治療を選択し、開始した点、生検の結果悪性腫瘍であるとの診断がされなかったのに速中性子線照射を継続した点、また、耳介下部の大きな腫瘤が縮小ないし消失した後、残りの腫瘤が縮小せず、その効果が見られないのに、さらに照射を継続した点について、それぞれ過失がなかったかの検討を加える。
2 速中性子線治療の選択・実施について
(一)(選択・開始に至る経緯) 前記のとおり、井上医師は本件腫瘤について臨床所見として悪性腫瘍と診断し、放射線治療が有効適切であると判断して医科研放射線科に紹介した。当時、医科研放射線科には放射線治療装置として、コバルト六〇治療装置及びサイクロトロン(速中性子線治療装置)があった(飯野証言第一三回一丁)が、井上医師は、原告を医科研に紹介した時点では、放射線の種類の選択は医科研の医師に任せる考えであったところ、井上医師からの依頼状を受け取った医科研の熊澤医師は速中性子線が妥当であると考え、原告を飯野医師に回し、飯野医師も速中性子線治療が妥当であると考えて照射計画を立て、開始する旨を熊澤医師を通して井上医師に伝えている(飯野証言第一三回、七丁、<書証番号略>)。そして、井上医師も、放射線の種類、あるいは照射開始時期について異議をとどめることはしておらず、原告に対する速中性子線治療が開始された(<書証番号略>)。以上からすると、速中性子線治療は井上、飯野両医師の了解のもとで選択・開始されたものと認められる。
(二)(速中性子線治療の選択・実施の妥当性)
右のとおり、井上医師と飯野医師は、即日における臨床診断のみに基づいて、原発巣の確認及び生検による病理学的組織診断を待たずに、医科研における速中性子線治療を選択・開始したものであり、このように原発巣の確認及び生検によらず臨床診断のみで放射線治療(しかも速中性子線治療)を開始したことに前記の注意義務に反する点がなかったかを次に検討する。そして、その判断をするに当たっては、前記のとおり、本件腫瘤の治療について医科研における速中性子線治療を行うことがどの程度の有効性を持ち、どのような危険性を有していたか、また、臨床診断のみで生検あるいは穿刺細胞診などの病理学的組織診断をせずに放射線治療を開始する必要性及び緊急性がどの程度存在したかを具体的に検討することが必要である。
(三)(速中性子線治療の有効性及び危険性)
(1) そこで、速中性子線治療の有効性及び危険性を次に検討する。
速中性子線治療は、一九四〇年前後にいったん試みられたが、その方法等で適切に行われなかった点もあり、放射線損傷が予想外に強かったため中断された。その後、一九六六年にイギリスのハマースミス病院で再開されて各地で行われるようになり、日本では、放射線医学総合研究所(以下「放医研」という。)が一九七五年から、医科研では一九七六年(昭和五一年)一一月から開始されている(飯野証言第一三回一五~一六丁、<書証番号略>)。
再開後の成績については、昭和五二年の段階で、医科研にある速中性子線照射機械と同種の機械を使用しているハマースミス病院での、進行した頭頚部癌に対する速中性子線治療の結果である局所治癒率が五四パーセントと、従来の放射線を用いた場合の一二パーセントを大きく上回るという報告があり(<書証番号略>、飯野証言第一九回、九丁)、また、速中性子線照射の局所制御率が良く、ことにリンパ節の腫脹が三センチ以上のものに対する局所制御成績が極めて良いことが報告される(<書証番号略>)一方、その後、速中性子線治療が必ずしも良い成績を上げていないことが指摘されるようになった(<書証番号略>)。
ところで、速中性子線治療は、コバルトやエックス線と比較して次のような特徴を有することが知られていた。すなわち、同じ量の放射線が一定の組織や臓器に与えられた場合でも、その線質によってその効果が異なり(これを生物学的効果比といい、RBEで表される)、中等程度のエックス線(二〇〇kvp)を基準「一」として、コバルトは「〇・九」である(したがって中等程度エックス線と比較し、一、二割多く照射して同程度の影響を被照射組織又は臓器に与える。)のに対し、速中性子線はその数倍に及び、臨床経験の乏しい中で、当初は二・四ないし三・〇と一定せず、また、アメリカ合衆国ワシントン大学におけるマウスに対する一回当たり一〇〇ラド(一ラドは被放射体の一グラムが電離放射線によって一〇〇エルグのエネルギーを吸収したときの吸収線量をいう。)での分割照射の実験では三・九という数値も昭和五三年に示されてはいた(<書証番号略>)が、人間の脊髄を実験対象としたRBE値は未だ確定的に明らかにされてはいなかった。そして本件の翌年にはこれを五・二に変更すべきであるとの報告が出ていること(<書証番号略>)からも明らかなように、本件当時、速中性子線の正常細胞に与える危険性については、未だ定まったものはなく、試行的に使用されていたことが認められる(<書証番号略>)。
そして、実際にも昭和五六年当時では、全世界で、速中性子線治療を実施しているのは一五の施設にとどまり、それもトライアル(試行)として実施されている。放医研では一九七五年から一九八一年までの約六年間で八二五人、医科研では一九七六年から一九八一年までの約五年間で三〇六人に対して実施しているが、あくまでトライアルであるから治療を受ける患者は費用を負担しなくてもよいことになっている(<書証番号略>原告本人尋問第二四回、一二丁)。井上医師も本院放射線科には年間五〇人以上の治療を依頼しているが、速中性子線治療については頚部腫瘍について、年間一〇人足らずしか依頼していない(井上証言第一一回三一丁)。
ところで、速中性子線治療の利点としては、酸素効果比が光子線に比べて小さいこと、分裂周期各期を通じての感受性変化が少ないことがあげられている(飯野証言第一三回、一四~一五丁、<書証番号略>)。即ち、癌細胞の酸素含有状態が低いものに効果を発揮し(<書証番号略>)、分裂を繰り返して増殖する癌細胞のその分裂の活発期と低調期における感受性の差異が小さく、平均した照射効果が現れるのである(飯野証言第一三回、一四~一五丁、<書証番号略>)。
これに対し、速中性子線治療の副作用としては、英国のハマースミス病院で、細胞の亜致死障害からの回復を抑制する特徴のあることが指摘され、したがって正常組織に与える影響に関しては速中性子線治療によるメリットは期待できないとされ(<書証番号略>)、脳、脊髄の晩期障害としては、脳壊死と放射線脊髄炎があり、ともに治療法がなく、悲惨な結果を招くため、特に放射線の強力な速中性子線を使用する場合、発症させないよう努力が必要であると言われている(<書証番号略>)。フランソワベクレッセセンターの標準的なコバルト照射法による治療では、等中心法で線源中心間距離八〇センチメートルが用いられ、症例の分析結果から示唆される耐容線量は、三ないし五個の脊髄が均等に照射される場合には、五〇〇〇ラド(三五日間に二五回照射)である旨の報告(<書証番号略>、昭和五三年)が示されていた。また、いったん治療を開始した以上、中断して経過観察をしたり、他の治療法に切り替えることは望ましくないとされている(井上証言第一二回、一六丁、<書証番号略>)。
(2) ところで、医科研の本件サイクロトロンは、米国のTCC社製CS-三〇型(AVF型)であり、治療には約六Mevの速中性子線を利用している。ビームは水平方向に固定されているため、市販のアイソセントリック装置と比べると、患者の固定、位置決めが難しく、非常に使いにくいと言われ、照射野の設定は放医研のサイクロトロンのように電動絞りではなく、人力による差替え式なので治療はかなり複雑である。また、γ線の混在、散乱線の存在などのマイナス要因もあると飯野医師自身によって指摘されている(<書証番号略>)。そして、本件腫瘤のように耳介下部における照射を必要とする場合は、側臥位では安定せず一定の治療効果が得られないことから仰臥位をとらざるを得ないと解されるところ、水平ビームであるため、脊髄への照射を避けることはできず(飯野証言第一七回、一七丁、第二〇回、七丁)、その点では放医研のサイクロトロンが垂直ビームであるため脊髄を含ませない照射が可能である(飯野証言第一七回、一七丁)のと対比して、放射線脊髄炎を発生させる危険は大きいものであったと認められる。
(四)(病理学的組織診断を待たずに臨床診断のみで治療を開始する必要性及び緊急性)
(1) 前記のとおり、一般には、臨床診断のみで確定診断を行うのは危険なことであると考えられるのであるが、被告はこの点に関し、第一に本件腫瘤は頚部リンパ節に形成されたものであり、悪性腫瘍とすると上咽頭癌が最も疑われ、かつ、原発巣を発見しにくいことが多く、また、患部である頚部リンパ節からの直接の生検は、かえって転移の危険を高め禁忌とされていたのであるから、そのような場合には生検をしないで治療を開始することも必要であること、第二に生検よりも悪性腫瘍播種等の危険性の低い穿刺細胞診については、本件当時、まだその安全性及び有効性は確認されておらず、比較的安全なファイン・ニードル・バイオプシーによる方法は確立されていなかったこと、第三に本件腫瘤のうち耳介下部最上部のものは大きく、直ちに治療を開始する必要性、すなわち、緊急性があったことを述べて、本件では臨床診断のみで速中性子線治療を開始したことに過失はない旨を主張するので、順次この点を検討する。
(2) (頚部リンパ節からの生検について) 生検は原則として、原発巣から行うべきで、腫大リンパ節からの生検は腫瘍細胞播種の危険を伴うことから避けるべきであるとされている(<書証番号略>)。したがって、井上医師が当初上咽頭癌からの転移を疑い、上咽頭の小隆起を一応原発巣と推定してその生検を予定し、直ちに腫大リンパ節からの生検を行わなかったことは相当と認められる。
(3) (穿刺細胞診について) また、生検以外のより危険性の少ない方法で病理学的診断が可能であれば、まずそれによるのが相当であり、腫大リンパ節に対する、いわゆる穿刺細胞診(ファイン・ニードル・バイオプシー)による方法も考えられたのではないかが問題となる。
確かに、穿刺細胞診が可能であれば、まずそれをすべきであるとの考え方は昭和四六年ころから既に見られ(<書証番号略>)、埼玉県立がんセンターでは、昭和五〇年から同五七年までの間、二一ゲージによる頚部リンパ節に対する穿刺吸引細胞診を実施し診断の参考としてきており、その結果をまとめた報告書では、穿刺吸引細胞診は行った当日に鏡検でき、良性・悪性の鑑別のみでなく、細胞像から組織型を推定できることが多い点及び安全で患者に与える侵襲が少ない点がすぐれており、腫大リンパ節の鑑別診断のためのすぐれた補助手段であることが指摘されている(<書証番号略>)のであるが、右の報告は昭和五九年七月のもので、本件当時は明らかにされていたものではない。また、他方、昭和六二年においても、右のような二一ゲージ以下の穿刺細胞診は播種の危険も少ないとの報告もあるから有益な方法であるが、安全性についてはまだ一般的な見解は得られていないとの見方もあり(<書証番号略>)、本件において治療を開始するに当たり、頚部リンパ節に対し穿刺細胞診を実施すべきであったとまで言うことはできない。
(4) (緊急性) 一般に悪性腫瘍は早期発見、早期治療が重要であり、本件腫瘤について悪性腫瘍の疑いがあったのであり、その大きさから考えて相当進行しており、早期治療が必要であると認識していたことは認められるのであるが、他方、転移性の悪性腫瘍については原発巣を発見し、転移部位のみでなく、原発巣に対しても適切な治療を実施することが必要であり、そのためには病理学的に正確な診断を下すことが重要である。また、本件では、高度の障害の発生する危険性があり、かつ、治療の途中で中断、変更することが望ましくない治療法である放射線照射による治療を実施する場合であるから、この場合に生検等の病理学的診断結果を待てないほどの緊急性があるというためには、呼吸困難であるとか、尿が出ないなど放置すれば生死にかかわるような場合でなければならない(佐藤証言七九、八〇頁、鑑定書七頁)。本件当時、原告には右のような状況があったとまでは認められない。
(五) 以上によれば、速中性子線治療は、低酸素性の癌細胞に対しては他の放射線による治療と比較し優位性がある反面、そのRBE値は数倍高く、正常細胞に対する放射線損傷の危険は高いという特徴があって一般的には試行の段階にある治療法であり、また、医科研のサイクロトロンによる速中性子線治療は、開始後三年数か月しか経過しておらず、しかも本件腫瘤の治療を実施するためには脊髄に対しても直接照射することは避けられず、脊髄に対する放射線損傷の危険を伴うものであるから、井上医師が当初の段階で病理学的組織診断として腫大リンパ節からの生検又は穿刺細胞診を実施しなかったこと自体は相当性を欠くとは言えないのであるが、前記の緊急性の程度に照らして考えると、このような特異性と危険性を有する治療法を採用するに当たっては、本件腫瘤が低酸素性の癌細胞であり、速中性子線治療が有効であることを生検等により病理学的に診断し、脊髄に対する照射による晩期障害発生の危険性を避けることが可能な部位であるかを確認した上で実施すべきであったと言わねばならない。
速中性子線治療の以上のような特異性と危険性については井上医師にも医科研の飯野医師と情報交換すれば十分予見できたはずであり、仮に本件腫瘤が井上医師の疑ったリンパ上皮腫あるいは悪性リンパ腫であったとしても、これらは低酸素性の癌細胞ではなく(佐藤証言八一~八三頁)、前記のとおり本件腫瘤を治療しようとすると医科研のサイクロトロンでは脊髄への照射は避けられなかったことからすると、本件は診断が不確実であり、かつ、緊急性に乏しく、また予想された悪性腫瘍に対する有効性が低いと推測される反面、脊髄に対する照射による障害発生の危険性の高い状況にあったのであるから、このようなケースについて、直ちに試行的に実施されている速中性子線治療を選択することは避けるべきであったと言わねばならない。それにもかかわらず、井上医師は、飯野医師との情報交換をせず、速中性子線治療の特異性、危険性を何ら顧慮することなく、生検を実施しないまま医科研の熊澤及び飯野医師に放射線の選択を委ね、その実施を承諾したことは主治医としての前記義務に違反する行為であると言わねばならない。
また、飯野医師は、本件速中性子線治療には前記のような特異性と危険性が存することは十分に認識できる立場にあったのであるから、主治医である井上医師にこれを伝え、本件腫瘤が医科研の速中性子線治療に適したものであるかについて井上医師と意見交換をしてこれを実施すべきか否かを判断すべきであった。しかし、飯野医師は、速中性子線治療一般及び医科研のサイクロトロンの特徴を何ら井上医師に伝えることなく、また、本件腫瘤が何であるかについて十分な確認もせずに、ただ速中性子線治療を開始することの連絡をしただけであり、さらに井上医師から上咽頭への照射はしないよう求められていたにもかかわらず、それが不可能である旨を事前に連絡せずにこれを実施したものであり、右は放射線科の医師としての前記義務に違反する行為であると認められる。
3 上咽頭からの生検の結果が悪性ではないということが判明した時点以降の速中性子線照射の継続について。
(一) 本件の速中性子線治療は、一回一二〇ラドを週二回、合計一二回照射する計画で開始されたが、それはハマースミス病院での例にならって計算された定形的な計画であり(飯野証言第一八回、一~二丁)、途中での事情変更等による治療内容の変更の可能性も含んだものであったと解される。そこで、速中性子線治療を選択・開始した時点において前記のとおり井上・飯野両医師に過失が認められるとしても、開始後上咽頭からの生検の結果が悪性ではないと判明した時点で治療を中断あるいは中止すべきではなかったかについて次に検討する。
(二)(中断あるいは中止すべき注意義務の有無) 井上医師が上咽頭からの生検結果を見たのは昭和五五年五月八日であった(井上証言第八回、二丁)が、その時点での本件腫瘤の状況は、耳介下部の大きな腫瘤が顕著な縮小を示しており、硬度も柔らかくなっているが、その下の腫瘤については、まだ硬い状態で、大きさについても、その次の診察日の記載によっても照射前との差異は認められない(<書証番号略>)、というものであった。
ところで、前記のとおり、当初の時点で腫大リンパ節からの生検は避けるべきであったとしても、腫大リンパ節からの生検をいかなる場合にもすべきでないということを意味するものではなく、どうしても原発巣を発見できず、かつ、治療を実施する上で悪性腫瘍であるか、どのような悪性腫瘍であるかなどを診断することが必要不可欠であると認められる場合には、腫大リンパ節からの生検を実施することも必要である(<書証番号略>)。本件では、井上医師が当初の段階で生検を予定した上咽頭の小隆起も視診上悪性の特徴をはっきり示しているとはいえないものであり、その他特に原発巣と考えられるものが見つかっていない状態であった(井上証言第一一回、二六~二七丁、<書証番号略>)。このような状態において、原発巣と考えられた上咽頭の隆起部分につき悪性でないとの生検結果が出たのであるから、耳鼻咽喉科の医師としては、放射線治療をいったん開始した以上中断あるいは中止するのは望ましくない(井上証言第一二回、一六丁、<書証番号略>)とはいえ、前記認定のとおり、強力な放射線であって、しかも当時必ずしも評価が定まっていない速中性子線の照射を脊髄にあたる方法において継続するにあたっては、耐容線量内でも副作用が起こりうること(<書証番号略>)も合わせ考えると、さらに原発巣を探索し、繰り返し疑わしい部位の生検を実施し(<書証番号略>)、原発巣の発見ができないときは、腫大リンパ節の生検を実施し、病理学的確定診断を得て、本件腫瘤への速中性子線照射の継続が必要かつやむを得ないものであるかを確認すべきであった。そして、その有効性に疑問がある場合にはこれを中止ないし中断し、より適切な治療法を選択すべき業務上の注意義務があったというべきである。
また、放射線の専門医としては、放射線照射の依頼が病理学的確定診断に基づくものでないときは、漫然と照射を継続すべきではなく、絶えず生検の結果に関心を持ち、本件腫瘤への速中性子線照射の継続が必要かつやむを得ないものであるかを確認し、正常細胞への放射線損傷を最小限にとどめるべき業務上の注意義務があったと解すべきである。
(三)(井上・飯野医師の過失の有無) 井上医師については、生検の結果、その対象となった上咽頭が生検前に二回照射を受けているので、そのために癌細胞が消滅したと解釈し(井上証言第八回、二~三丁)、その後、他の原発巣を積極的に探索したり、疑わしい部位あるいは本件腫瘤について生検等を実施したりもしていないことが認められる(<書証番号略>)。一般に上咽頭癌であるとしても一回の表皮の生検で悪性腫瘍の診断ができないことはままあることであり、速中性子線の照射の結果癌細胞が消滅したと直ちに解釈することはできないことを考えると、井上医師において前記義務を尽くしたと認めることはできない。
また、飯野医師は、事前に上咽頭の生検を実施したことを聞いていながら、その結果を顧慮することなく、漫然と照射を継続し、第一〇回の照射を実施した昭和五五年五月二六日に至り、初めて悪性腫瘍であるとは認められない旨の生検結果を知るに至ったのである(<書証番号略>)。少なくとも、本件腫瘤のうち、耳介下部の大きな腫瘤が消失し、下部の腫瘤には変化がないと認められた同月二三日には照射の必要性に疑問を生じたのであるから、生検結果を尋ねるべきであり、これをしないで照射を継続したことは、右注意義務を尽くしたものとは認められない。
4 一〇回の照射が終了した時点以降の照射継続について
(一) 一〇回の速中性子線照射が終了した時点で、本件腫瘤のうち耳介下部の大きなものが消失しており、飯野医師は、縮小しない腫瘤は癌の転移かどうか疑問であること及び照射野を縮小したい旨を井上医師に伝えている(<書証番号略>)。そこで、この時点でよりすすんで照射を終了すべきではなかったかが、次に問題となる。
(二)(注意義務の具体的内容) 治療にあたっての医師らの注意義務の内容は前記のとおりであるところ、右時点での具体的注意義務を考えるにあたっては、<1>本件腫瘤に対する速中性子線治療の効果、<2>照射線量の判断の点を検討することが必要である。すなわち、速中性子線治療の効果が上がっており、中断又は中止すれば重篤な結果を招来する危険が高い場合には、耐容線量を多少超えても照射を継続すべきであるし、その反面、治療効果があまり見られず、中断又は中止しても危険性が低い場合は、耐容線量の範囲内であっても、照射の継続は避けるべきであるからである。
本件腫瘤に対する速中性子線治療の効果は、耳介下部の大きなものについては当初よりよく反応し、昭和五五年五月二日の第三回照射時にはすでに、当初超拇指頭大であったものが指頭大で縮小著明、周辺不明瞭となっており、第四回照射時に縮小著明、第六回照射時には境界不明の軽度硬結、第八回照射時には軽度のびまん性腫脹となり、第九回照射時に至って消失しているが、他方、鎖骨に近い方の腫瘤については、第三回照射時に二分の一の大きさになっているものの、その後は特に変化がなく、放射線抵抗性を示していた(<書証番号略>)。
次に照射線量の判断の点を検討すると、飯野医師は、照射線量を決定するに当たって、本件照射では脊髄に対する照射も避けられないことから、脊髄に対する照射線量を算定し、結論的には過去に放射線脊髄症となった事例はすべて一二〇〇ラド以上であったため、その範囲に入るよう計画を立て実施したこと(飯野証言第一六回、二四丁)が認められる。すなわち、深さ三センチメートルの部位が一二〇ラドとなるように設定すると、頚椎は六五と六〇の間のパーセントとなり、飯野医師は中間の六三をとって、補正する(〇・九で割る)と、八四ラドとなるから、これを一四回照射しても、一一七六ラドとなって耐容線量の範囲内であり、また、ルビンは脊髄の耐容線量をRBE値を一として四五〇〇ラドとし、これを当時の速中性子線のRBE値である三・九で割ると一一五四ラドとなる(飯野証言第一六回、九~一一丁)が、しかし、多くの場合、耐容線量を五〇〇〇ラドで実施しており(同二三丁)、そうすると、速中性子線に換算すると一二八二ラドとなるというのである。しかし、翻って考えてみると、前記のとおりRBE値三・九というのはマウスによる実験結果であり、一回の照射線量も本件よりは多く、一回の線量が少なくなるとそのRBE値は大きくなることが知られており(<書証番号略>)、また、速中性子線のRBE値は当時必ずしも信頼すべきものではなかったこと、ルビンの示した脊髄への耐容線量の意味するところは、五パーセント以下の範囲ではなお放射線脊髄症の発症の危険はあるという確率的な数値で絶対ではないこと(<書証番号略>)、頚椎への照射を六五で採ると、一回の線量は八六・七ラドとなり、一四回照射すれば一二一四ラドとなり一二〇〇ラドを超過すること(固定された水平ビームであるから均等に照射されたかにも疑問が存する。)、医科研のサイクロトロンは右のRBE値の算定をしたワシントン大学のものよりもRBE値は大きい可能性があること(飯野証言第一六回、一七丁)が認められる。右各事実を総合勘案すると、本件で最後に照射野の長さを狭めたとは言え、実際には以上の誤差により原告の脊髄には部位的に一二〇〇ラドを上回る速中性子線が照射されたことも十分に考えられる。
以上によれば、この時点で残存している腫瘤が照射効果の点から見ても悪性腫瘍か否か疑問であり、また、既に一〇回の照射を実施し、仮に悪性腫瘍であるとしてもその力はかなり制御されていたとともに治療効果があまり見られなくなっていたのに対し、そのまま照射を継続すれば脊髄への耐容線量に近づき、放射線脊髄炎を発症させるおそれを有していたことが認められるのであるから、この時点において、井上及び飯野医師において、少なくとも一旦照射を中止し、更に照射を継続する必要性及び危険性について十分検討すべきであったと言わねばならない。
(三)(井上、飯野両医師の過失の有無) 右を前提にして検討すると、まず、飯野医師は放射線抵抗性を示す腫瘤につき悪性かどうかの疑問を呈してはいるが、それについて照射を止めるまでの提案はせず、井上医師から継続してほしい旨の連絡を受けると、それに対して何ら異議を述べることもなく、継続しており、また、井上医師は、飯野医師の連絡に対し、触診上の所見を維持して継続したい旨の返答をするにとどまっているのである(<書証番号略>)から、右両医師には、前記注意義務に反する過失があるというべきである。
5 結論
以上のとおり、井上医師及び飯野医師は、そもそも本件腫瘤に対して医科研のサイクロトロンによる速中性子線照射による治療を開始すべきではなかったのに、開始、継続し、その間、数度にわたりこれを中止ないし中断するなどして、脊髄に対する放射線照射が過大になるのを防止し、もって本件放射線脊髄炎の発症を未然に防ぐ機会がありながら、耳介下部の腫瘤消失の事実に気を奪われ、漫然と照射を継続したことにより、原告をして本件速中性子線照射による晩期障害であることが明らかな放射線脊髄炎に罹患せしめたものである。従って、原告の右障害は、井上医師及び飯野医師の以上の一連の過失により惹起されたものと認めるのが相当である。
三 争点3について
1 付添費
原告は、昭和五七年以降脊髄障害に罹患し、全身にわたって運動機能が麻痺し、日常生活につき常時介助付添いを要する状態であり、同状態は改善されることがない(<書証番号略>)から、家人付添相当分の費用が必要である。
家人付添費相当額は一日四〇〇〇円であり、昭和五七年当時の原告は四二歳であるから、その平均余命は三四・三九年であり、よって少なくとも三四年間は一日四〇〇〇円の出費を余儀無くされるものと考えられ、付添費用の合計を中間利息を控除して求めると左記のとおり二六五九万六八三八円となる。
4,000×365×16.1929(三四年間のライプニッツ係数)= 23,641,634円
2 逸失利益
原告の昭和五四年の給与所得は年六三一万七〇〇円であり(<書証番号略>)、昭和五七年頃からは一〇〇パーセントの労働能力を喪失したと解される(<書証番号略>)から、昭和五七年当時の年令四二歳からの就労可能年数二五年のライプニッツ係数一四・〇九三九を乗ずると、原告の逸失利益は左記のとおり八八九四万二三七四円となる。
6,310,700円×14.0939= 88,942,374円
3 慰謝料
原告の受けた放射線脊髄炎という障害は、血管障害による進行性麻痺であり、治療方法がない極めて重篤な障害であることからすると、原告の受けた精神的損害を慰謝するための金額としては、二〇〇〇万円が相当である。
4 弁護士費用
原告は、本件訴訟の遂行を原告代理人等に委任した。そしてその費用及び報酬としては、本件事案に照らし、一〇〇〇万円が相当である。
5 合計額
以上の合計額は一億四二五八万四〇〇八円であるが、原告は、そのうち、一億四一四一万七八〇〇円に対して請求を求めており、右金額の損害があることは、以上から明らかである。
四 まとめ
以上のとおり、原告の本件腫瘤についてされた速中性子線治療は、井上・飯野両医師の過失に基づくものであり、右治療と前記損害との間に因果関係の存在は当事者間に争いがないので、井上・飯野両医師の不法行為により原告の放射線脊髄炎が生じたと認められる。
第四結論
以上のとおり、井上医師、飯野医師には過失が認められるので、右医師らの使用者である被告には、原告の損害について、不法行為に基づく損害賠償責任がある。
よって、本件請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(なお、主文第一項の金員の内金五〇〇〇万円を超える部分についての仮執行宣言及び仮執行免脱宣言はいずれも相当でないから付さないこととする。)
(裁判官 大塚正之 裁判官 渡邊真紀 裁判長裁判官 荒井眞治は、転補のため署名・押印することができない。裁判官 大塚正之)